和訳のタイトルが非常に微妙な気がするが
確かに秀逸な論文集である。ちなみに原題は "History Wars"。
8名の歴史学者やジャーナリストが、それぞれの視点で95年にアメリカを騒がせた「エノラ・ゲイ論争」について論じている。
この論争はまさに、タイトルが示すとおり「歴史戦争」だった。
歴史家や、博物館学芸員に対する強烈な批判を見ると、彼らはまるで、歴史学そのものを否定しているように見える。
これだけを見ると、アメリカは何て偏狭な国なんだろう。何て自分勝手な国なんだろう、という感想を持つかもしれない。実際私も最初は持った。
だが一方で、絶え間ない歴史の見直しというのもアメリカの特徴であるということを認識しつつ、この問題に触れるべきなのかもしれない。
何よりこの本は面白い。
個人的には特にジョン・ダワーの論稿には引き込まれるし、リチャード・コーンの視点も、かなり勉強になった。
コーンはむしろ、学芸員による展示スクリプトの「偏り」を指摘する。
保守派による容赦のない批判に対する批判ではなく、それ以前に学芸員の手法・手腕の問題点を指摘しているのだ。
ポール・ボイアーの文章の最後を締めくくる言葉を、ここで取り上げてこの文章を締めることにする
「・・・つまるところ、社会が過去を管理する任務を委ねるのは歴史学者をおいて他にはいない」(163頁)
批判に負けずに、歴史学者よ頑張ろう、といったところだろうか。
ちゃんと注釈がついているのがまた良し!
強迫観念の怖さ
「エノラ・ゲイ展示論争」をめぐる数多くの論稿の中でも、本書は間違いなく最も秀逸な論文集である。アメリカのリベラル派がますます保守化するアメリカ国内の風潮に、敢然と立ち向かう様が見て取れる。 冷戦が終結し、90年代に入ってからアメリカ人が抱き始めた漠然とした不安が、保守化する世論の背景となっていることを、本書の執筆者たちは正確に認識している。マイクル・S・シェリーの以下の分析は、アメリカ人の自信喪失を連想させるものである。 「皮肉にも、エノラ・ゲイ論争と「愛国者たち」の部分的なその勝利は、アメリカが軍事的ヘゲモニーをにぎっていた偉大な時代が終わりに近づいていることを示したのだった。」(134頁) 不安や自信喪失は、外交政策の消極化よりも、むしろ強迫覡?念から来る積極化へと通ずる主因となる。それらは自分の行為に対する客観視をほぼ不可能にし、自らの行為が正義に基づいて為されていると強く信じさせる。自信過剰よりもはるかに怖いと考えるべきだろう。
朝日新聞社
拒絶された原爆展―歴史のなかの「エノラ・ゲイ」 アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか 戦争を記憶する―広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書) ヒロシマナガサキ [DVD] アメリカ帝国の悲劇
|